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   <title>Rock☆Star</title>
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   <subtitle>デビット・ボウイの作品・人となりについて書いています</subtitle>
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   <title>父と子の対話は成長のための不可欠な精神的栄養素</title>
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   <published>2012-01-10T02:57:56Z</published>
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      「この1週間、子どもの寝顔しかみていないほど忙しい。


でも、久しぶりの休日で子どもとふれあう時間があっても、いったい何を話せばよいのだろうと思うことがある」とサラリーマンA氏がポツリと私に語ってくれたことがあります。


久しぶりに家族がそろった食卓で、いきなり


「何か変わったことはないか」


「勉強は順調か」・・・と話しかけても、子どものほうはおもはゆく、めんくらうだけで、話がはずむはずもありません。


それでは、どうしたらよいのでしょうか。


ニ～三、アドバイスいたしましょう。


たとえば、月に一度、父親と子どものクッキングデーというのはどうでしょう。


土曜日の夜、子どもといっしょにメニューを考え、日曜日に買い出しにゆくのです。


      
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   <title>南部繁栄の支柱　2</title>
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   <published>2011-12-09T08:18:44Z</published>
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      綿繰り過程の大幅なスピードアップは綿作の大量生産に道を開き、イギリスやニューイングランドで折から勃興しつつあった紡績業からの大量需要に対応することができたからです。


従来は奴隷制度は非能率であって、南部経済発展、とくに工業化を遅らせたと歴史家によって説明されてきました。


しかし、最近の研究によると、第一に南北戦争前の南部経済は停滞していなかったのです。


第二に、奴隷労働に依存する綿作プランテーションの生産性はきわめて高いものでした。


第三に奴隷制度は南部の他の事業に比べて著しく収益性が高いシステムでした。


・・・このため地力の低下もあって、綿作地帯は旧南部(サウスカロライナ、ジョージアなどの諸州)からメキシコ湾沿岸やミシシッピ下流の南西部の諸州(アラバマ、ルイジアナ、テキサスなど)へと拡大していきました。


このようにプランテーションの生産性と収益性を高めたものは、大規模プランテーションにおける規模の経済性と、大量生産方式とによるものでした。


ひとくちにいって大規模プランテーションは、農園というより組み立て工場と同じでした。


      
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   <title>南部繁栄の支柱</title>
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   <published>2011-11-25T08:18:04Z</published>
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      その点アメリカでは、栄養は最低限で維持され、平均寿命も白人農民に比べてとくに低いわけではなかったのです。


アメリカにおける黒人人口の増大は、少なくとも年3%という高い出生率のせいとみてよいでしょう。


つぎに重要なのは、黒人奴隷10人のうち9人以上が南部に集中していたことです。


このことからも明らかなように、奴隷制度に対する考え方は、南と北では基本的に異なっていました。


南部ほどに恩恵を受けていない北部は奴隷解放を進めたのに対し、南部は最後まで奴隷制度に執着しました。


このことが主因となって南と北の間に国民同士が血を血で洗う戦争が勃発したのです。


南部にとっては奴隷制度こそ経済の基盤であり、その廃止は18世紀末から繁栄しつつあった南部経済を破滅へと導くことを意味しました。


とくに綿花生産は単に南部ばかりでなく当時のアメリカ経済全体にとっても最大成長部門であったし、南北戦争までの半世紀の間その成長を支えました。


とりわけ天才イーライ・ホイットニーの綿繰り機の発明は南部の綿作農業に革命的な影響を与えたのです。


      
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   <title>ピアノ発表会での照明は・・・　2</title>
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   <published>2011-10-01T01:10:11Z</published>
   <updated>2011-10-01T17:25:04Z</updated>
   
   <summary>たった3台のスポットライトで日本舞踊の明かりを創るのは大変難しいことで勉強になり...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nwainsurance.com/">
      <![CDATA[たった3台のスポットライトで日本舞踊の明かりを創るのは大変難しいことで勉強になりましたが・・・


会場が工場の体育館ですから電力に限りがあるし、現地にはスポットライトがないのでやむをえません。


当時は<a href="http://www.temponotatsujin.jp/SHOP/54606/list.html" target="_blank">かくれん棒</a>のような照明もありませんでしたし・・・


時間もそれほどかかるわけではありません。


ピアノが入る前に仕込みを終えて宿舎に帰り、出なおすと、舞台の上に置いてある林檎箱ほどの台の上に脚を外したピアノが置いてありました。


ピアニストがちょっと弾いてみると悪い予感が当たって調律はできていません。


調律のことはあきらめて、


「脚を取り付けてセットしてください」


・・・とお願いしたら


「もともと脚はありません、高めにしてくれといわれたから台の上に置いたのです」。




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   <title>占いと心理学</title>
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   <published>2011-09-20T07:32:28Z</published>
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   <summary> 「アメリカインディアンの猟師は半白熊の爪を飾りとして身につけるのであるが、これ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nwainsurance.com/">
      <![CDATA[
「アメリカインディアンの猟師は半白熊の爪を飾りとして身につけるのであるが、これは熊の勇猛と狸猛とを得んがためであり、填国チロルの猟師は今も帽子に鷲の麹毛をつけているが、これは鷲のするどい視覚と勇気とを得んがためである」


・・・こういった事実を、たとえばアンリ・ベルグソンは観念連合という単なる心理学上の作用として説明していますけれども・・・


しかしふそういった幼稚な形の判断を決定する感情が存していることを、まず考えなければなるまいと私は思います。


ちょっとバカげた判断だと自分で幾らか(あるいは充分に)気が付いたとしても、しかしやっぱりそうしなければ気にかかるという感惰が、かならず伴なうています。


その感情が伴なわなければ、そういった判断は生じないはずなのです。


そして、その感情がどんなに力強いかは、そういった事実がなにも未開人社会だけでの考え方でないのを見ても知るべきであります。


<a href="http://www.uranai-king.com" target="_blank">電話占いの詳細は＞＞</a>


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   <title>ピアノ発表会での照明は・・・</title>
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   <published>2011-09-02T01:09:11Z</published>
   <updated>2011-09-02T17:25:02Z</updated>
   
   <summary>ピアニストと工場長の社宅におじゃますると・・・ 通されたお座敷の真ん中に敷かれた...</summary>
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      <![CDATA[ピアニストと工場長の社宅におじゃますると・・・


通されたお座敷の真ん中に敷かれた緋毛臨の上に脚を外したセミグランドピアノが置いてありました。


手入れは行き届いていて傷ひとつ付いていない状態です。


ピアニストがピアノの前に正座して(それ以外の方法がない雰囲気なので)弾いたところやはり長年調律をしていないためか弦が伸びて音程が下がっていました。


工場長に事情を話して


「大分長い間調律していないようなので、弾いているうちに下がると思うので少し高めに調律するように頼んでください」


・・・とお願いして失礼しました。


この公演では同行のスタッフは私一人なので、舞台のことは私一人で全部やらなければなりません。


照明の仕込みは持っていったスポットライト3台だけです。


当時はまだ<a href="http://www.temponotatsujin.jp/SHOP/54606/list.html" target="_blank">かくれん棒</a>はありませんでした。

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   <title>壁の材料　2</title>
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   <published>2011-08-04T03:10:11Z</published>
   <updated>2011-08-04T17:25:02Z</updated>
   
   <summary>油は石灰の固化に要する材料ではないのですが・・・ 防水性を増し、なお糊料と同様、...</summary>
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      <![CDATA[油は石灰の固化に要する材料ではないのですが・・・


防水性を増し、なお糊料と同様、施工性の向上に役立つものですから、その混入は適切な手段であったと考えられます。


油の種類はここでは明らかでありません。


しかし、同じ記録で「彩色料」として上ってくる紫土に胡麻油が添加されているので、おそらく土一般にはこれが多用されたものと思われます。


後年盛んに使用される海藻・・・


ふのり・つのまた等を左官材料として使用した例は全く見出せませんね。


これらの海藻名が、三寺造営記録をはじめこの時代までの文献に、布乃里・布乃利・布能利・不乃利あるいは角俣等の名称で頻出することは周知ですが、それらはすべて食料として記載されています。


海藻類が左官材料として登場するのは17世紀以降であって、それまでに糊料として扱われたことは一例も見出せないことを改めて強調しておきましょう。


この時代にもまだ<a href="http://www.tosou-navi.jp/" target="_blank">外壁リフォーム</a>技術は存在していません。

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   <title>壁の材料</title>
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   <published>2011-07-22T03:09:09Z</published>
   <updated>2011-07-22T17:25:02Z</updated>
   
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      <![CDATA[石山寺仏堂の場合には、白土五斗に対し白米三升(容積比で6パーセント)が充てられていたのに・・・


『延喜式』では僅か1パーセントにしかならないのです。


糊料は主材料(この場合は白土)の固化を助けるものですが、それ以上に施工性向上のために必要な補助材です。


ここで白米粥の比率が著しく低下しているのは、必ずしも仕様を落としたのではなく・・・


むしろ前代以来の習熟によって、少量の添加で優れた施工性が得られるようになったことを示すものではないでしょうか。


三寺造営記録には、以上の米・膠のほか糊に充てられた材料として大豆や小麦粉が見られます。


しかし大豆は多くの場合、写経所等における「継紙料」として記され、小麦粉はしばしば「則布料」であって、いずれも左官材料の糊料としては計上されていません。


なお法華寺においては油若干が「仏堂大床石灰料」に用いられたことが知られています。


これはまだ<a href="http://www.tosou-navi.jp/" target="_blank">外壁リフォーム</a>技術などがなかった頃の話です。

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   <title>黒人奴隷の流入　2</title>
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   <published>2011-07-20T07:17:34Z</published>
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      西半球の他の地域では大量輸入にもかかわらず黒人の人口は減少していったのに対し、アメリカでは比較的に少量の輸入にもかかわらず、黒人人口は急増しています。


したがって、1825年に西半球の黒人人口で占めるアメリカの比率は36%と高くなっています。


たしかにアメリカにおける黒人人口は、18世紀後半から19世紀にかけて急増しています。


1700年には2万8000人であったものが、1800年には100万、1830年には200万、1860年には400万人へと急ピッチです。


しかし、1808年には奴隷輸入は禁止されているし、その後密輸入があっても、その数は知れています。


西半球のほかの地域とアメリカの間にこのような相違があるからといって、アメリカで奴隷が酷使されていなかったわけではありません。


相違があるとすれば、いく分かはさとうきび耕作労働よりは綿作のほうがまだましだったというほかに、他の地域では奴隷所有者が奴隷を消耗品として使い捨てしたのに対し・・・


資本主義的なアメリカのプランテーションでは大事な「資本財」として扱われ、その再生産の維持だけは保たれていたというにすぎません。


      
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   <title>黒人奴隷の流入</title>
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   <published>2011-06-13T07:16:49Z</published>
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      アメリカへの黒人奴隷の流入の歴史は、移民と同様古いものです。


1619年にオランダ人がバージニアに20人ほどの黒人を連れてきたのが囑矢とされます。


もっとも世襲終身奴隷という制度がいつアメリカで確立されたかは明らかではありません。


1660年になってもバージニアにいた黒人は300人程度であり、奴隷制度はまだ確立されていなかったのです。


1850年までに1000万、少なくとも700万人を超えたというアフリカから大西洋を渡って西半球の大陸に連れてこられた奴隷貿易のなかでは、アメリカは主流ではなく、支流に属していました。


それというのは、さとうきび耕作には欠かせないためにまずブラジルへ、のちに西インド諸島に奴隷が送られたのですが、アメリカでもさとうきび耕作の必要からでした。


しかし、アメリカではもともとさとうきびの生産は多くなかったし、黒人の労働も本格的にはまずたばこ栽培に、そしてのちに綿花栽培に移っていったのです。


奴隷貿易の終末に近づいた、1800年には全体の6%がアメリカに入ってきたにすぎません。



      
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   <title>国有林の特別会計制度　2</title>
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   <published>2011-05-17T00:44:31Z</published>
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      しかし「森林生産力を向上する」については、形式に、あるいは理論にのみ走り、余りにも注力しすぎて、造林不適地あるいは国土保全にかかわる地域まで伐採、造林し、真の目的に反する行為も多かったと思われます。


そのため「生産の保続及び経営の合理化に努め」については、その理想と逆に事業の大きな断続、組織の過度の拡大という現実となって、現在のような国有林の弱体化を招いてしまったことは否めないでしょう。


なお、国有林野経営規程は、その後33年と44年に全面改正されています。


「国有林野事業特別会計法」による特別会計の主旨は、国有林の収入は一般会計への繰入れはできても、逆に一般会計からの繰入れは費目毎に特別立法を必要とすることと定められ、平常においては繰入れはできないといういわば一方通行です。


もし経営収支が赤字となることがあれば、借入金をもって賄う定めとなっているのです。


さらにこの法律に先立つ閣議決定の第3項に「右特別会計の運営に当たっては(中略)事業能率を増進せしめ、一般会計への繰入れの増加を図り・・・」とあります。


これでは独立採算制とはいいながら、政府側の誠に勝手な制度というほかないでしょう。


どうしてこんな不公平な制度が続けられてきたのでしょうか。


      
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   <title>国有林の特別会計制度</title>
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   <published>2011-04-17T00:43:01Z</published>
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      時の政治に、あるいは国有林トップの意志や過誤などにより、軌道を大きく狂わせてはならないことを戒めており、ここに国有林存在の意義があると思うのです。


民有林では一般に永遠保続のできるような大面積所有者は少なく、家計の状況によって伐ったり植えたりするのは当然のことで、保安林などを除けば、規制するいわれはないのです。


終戦直後の昭和22年に農林省山林局所管の国有林、宮内省所管の御料林、内務省所管の北海道国有林の三者が統合されて現在の国有林となり、林野庁所轄となりました。


同年3月には「国有林野事業特別会計法」が制定されました。


その主旨は「国有林野事業を企業的に運営し、その健全な発達に資する・・・」とあります。


農林省は昭和23年に国有林の経営目的等を具休的に示す「国有林野経営規程」を制定しました。


しかし、その第一条で、「国有林は国土の保安その他公益を保持し、国民の福祉増進を図ることを旨とし、森林資源を培養し、森林生産力を向上するとともに、生産の保続及び経営の合理化に努めて、これを経営しなければならないLとしています。


この中で現在までに、「国有林は国土の保安その他公益を保持し」については、民有林に比べてよりよい成績を収めてきたことは一般に認められているところであり、大きな功績であったというべきでしょう。



      
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   <title>公益性を重視した税制の改善　2</title>
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      イギリスでは立木の資産移転(相続・贈与)についてはその時点では納税せず、伐採、譲渡の際に相続税・贈与税を加味した税率で納税する方法を選択できる仕組みになっています。


西ドイツでは林業を含めて森林評価が非常に低くおさえられており、特に20年生以下では備忘価額程度としています。


フランスでは期間30年の営林計画の認定を受けて、それに基づいて施業するものの林地を含めた相続税評価を時価評価の25%としています。


これらの国々では既に公益性を含めた山林の重要性およびその経営のあり方を十ニ分に考慮して、無理な伐採を戒めているものとみられます。


国自らが進めてはならない低伐期施業を余儀なくさせるような、終戦直後からの林業をめぐる税体系の矛盾は早急に改められなければならないでしょう。


えさで釣るような目先、小手先の補助金などはむしろやめるべきであり、根本的な税制の改正を急ぐ必要があるでしょう。


次に、国有林野事業に関する制度の概要について。


明治32年に「国有林野法」が定められ、そこに国有林経営の蒙方針として次のように述べられています。


「国有林の経営は永遠保続の利用を目的とし、その方案は確実なる施業案に依るべし」。


当時の日本における林業知識は相当低く、正式に人工造林などという言葉もあったかどうかと思われます。


にもかかわらず「永遠保続の利用を目的とし・・・」とうたっていることは立派であると思います。


そのことが現在ますます大事な要素となっているからです。



      
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   <title>公益性を重視した税制の改善</title>
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      林業不振の大きな要因である所得税と相続税の改善が進まないのはなぜか・・・


その主な理由としては・・・


1．50年以上という超長期投資であり、投資老と収穫者が異なるため、控除されるべき必要経費の観念か薄いこと、即ち収穫者は後継者であり、その収入について棚ぼた的観念を持っていること。


2．林野庁は国有林が主体となるため、林業に占める税金についての問題意識が薄く、税制改善について消極的なのではないか。


3．林業関係議員はいなくなり、税制改正の要求が届かない。


4．林業の専業者は比較的少なく、全国に散在するため、意志の結集伝達に欠ける。


5．高伐期恒続林経営の有利さが理解されていない。


6．徴税側、納税側ともに余りにも目先のことに終始しているため、抜本的改善の方途が見い出せない。


・・・といったことがあげられるでしょう。


また100年、200年という遠い将来まで待って高伐期林から徴税するなど、とてもそんな悠長なことは考えられないという反論も強いと思われます。


しかし、日本の経済は林業から相続税を徴収しなければ動きがとれないというものではないでしょう。


山林はもはや他の不動産とは大きな相違を生じ、木材生産よりむしろ山林そのものの公益性がますます重要性を高めつつあるのです。


その公益的機能のほとんどは低伐期施業により大幅に低下し、高伐期施業によってのみ確実にその向上が期待されるのです。


経済大国日本の大蔵省がいずれを採るか迷うところはないでしょう。



      
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   <title>造林業を守る</title>
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   <published>2011-01-17T01:36:59Z</published>
   <updated>2011-07-07T03:26:20Z</updated>
   
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      「子孫のために美田を残さず」ということわざがあります。


しかし、大蔵省は「子孫のために美林を残させず」と眼を光らせているようなものです。


伐期が長くなれば立木の価格は上昇し利益も大きくなるのです。


・・・しかし、樹齢200年の美林を育てようとしても、仮に30年毎に相続があるとするなら、200年の伐期までに6回も相続税の苦労をしなければなりません。


いつになっても売れるものは安くて、経営の成り立たない青田刈りで、じり貧となるばかりです。


1本1000万円以上などという山林は永久に見られなくなるのです。


税務署にしても相続のつど山林の評価に苦労していますが、結果得られる税収はわずかなものでしかありません。


伐採か譲渡により利益が出たときにはじめて所得税分を含めて課税することとすれば、徴税事務を簡素化できる上に毎年十分な税収を得ることができるでしょう。


その方がどれほど有利であるか、十分に検討願いたいのです。


      
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